強い気持ち・強い愛

男子大学生の不満

選択の時代に生きる僕ら


最近すごく感じるんです。今って選択の時代だなって。
それはきっと多くの人が感じるところではあるのだろう。

ドラマ『家族ノカタチ』、安保法案、大学生の生活の3つから今の選択の時代を見ていこうと思う。

家族ノカタチにみる選択の時代

日曜日21時〜TBSで『家族ノカタチ』というドラマがやっている。
あらすじをざっと話すと39歳独身の香取慎吾演じる主人公は、独り気ままなシングルライフを満喫し、長年貯めた資金で念願のマンション(自分だけの城)を購入した。
そこに田舎から陽気な父親と、見たこともない再婚相手の連れ子が居候をするようになる、という話である。
主人公ともう1人、上の階に住むバツイチで同様に独りでいる事に楽さを見出している商社勤務の女がいる。
それぞれの親は、歳も歳だから結婚を勧める。しかし、本人たちは恋愛すらしようとしない。
このドラマで象徴的なのは主人公の多彩な趣味だ。
平日は毎日会社帰りにジム通い、夜は世界中のこだわりのビールをこだわりのグラスで自作のつまみと嗜む、休日はロードバイクでツーリング、と多彩な趣味を持つ主人公。
そんな主人公にとってみると、恋愛は趣味に比べ魅力に欠けるコンテンツに映るのだろう。
つまりここから何が言いたいかというと、彼らの親の若い頃に比べ、圧倒的に選択肢があるのである。
彼らの若い頃は自由恋愛の幕開けの頃であるので、恋愛を沢山して最後は1人に絞って結婚。結婚後は車とマイホーム、と相場が決まっていた。
彼らの時代に比べれば圧倒的に楽しめる幅が広がったのだ。また恋愛は誰かとでないとできない。しかしロードバイクもビールも1人でどこまでも楽しむことができる。
当然恋愛を楽しんだっていいのだ。ただ、恋愛をみんながしてみんなが結婚に進んでいく時代は終わったのだろう。
恋愛自体にに結婚する、しないという選択肢があるわけではない。
もはや恋愛や結婚、子育て自体が趣味の大きなくくりの中に組み込まれているのだ。
人生を楽しく、彩るコンテンツは沢山あるのだ。


安保法案にみる選択の時代

漢検協会発表の2015年の一文字は『安』だった。
これは僕は件の安保法案から来ていると思っている。それだけ2015年を象徴する出来事だったのだろう。

大学生の間ではSEALDsという政治団体が反対を訴え、多くの大学生が国会前でデモを行った。
政治に無関心だと言われる現代の若者がSNSから声を上げて一致団結したのだ。
大学生だけでなく、ネットを通じ、多くの人が自分の意見を述べた。
反対だの賛成だのツイッターなどで口々に持論を発信していた。

そんな空気を読み取ったドレスコーズ志磨遼平は2015年の暮れ、『オーディション』というアルバムを発表した。
僕の中での2015年のベストアルバムである。
そもそもアルバムのタイトル『オーディション』は志磨さん自身が多くの消費者から選ばれる立場であるというところからつけられた。
リード曲である『スローガン』は安保法案で多くの人が自分の考えを示す中で、あえて分からないから白い何も書いてないプラカードを僕は掲げるよって言う曲です。何も言わない、そういう選択肢があってもいいんじゃないか、って事です。

ツイッターフェイスブックが人々にとって身近なツールとなった今、自分の思いを発表しやすくなった。自分の様々な選択を、外に発信しやすくなったのだ。


大学生にみる選択の時代

よく久々に会う親戚は僕に言う。
「サークル何やってんの?」
たぶんおじさん的には大学生はサークルをやるものだと思っているのだろうし、実際に一昔前まで大学生はみんなサークルに入って、大学生活を謳歌するものだったのだろう。
しかし、僕の周りの友達も半分くらいがサークルに入っていない。
大学生活を彩るものはサークルだけではないのだ。
『家族ノカタチ』の主人公もそうだが、今は趣味として楽しめることが沢山ある。
大学生も例外でなく、サークルに入るだけでなく、こだわりの趣味を極める、バイトに精を入れる、ボランティアをする、はたまた勉強をがんばる、など選択肢は多くある。

私は今はバイト三昧で週に4日ほど出勤している。
バイトの仲間とは仲が良く、社員さんもいい人なのでとても楽しくやっている。
私からするとお金ももらえて楽しいバイトに時間を使うほかないのだ。
実は一年の時はサークルでそれなりに活動していた。
しかし、その生活も飽き、2年生はバイトを頑張った。それとプラスして彼女と遊ぶことにとても時間を使っている。
大学生の時間の使い方にもちろん正解はなく、大学生それぞれが持てる多くの時間の1番いい使い方をできるだけ早く見つけるといいだろう。
昔と違ってできることは沢山あるのだ。とても幸せな時代に大学生になったと思う。


まとめ

述べてきたように、現代は選択の時代だと思う。

よく、生きることは選択することだと昔から言われたりするが、おそらく今ほど選択肢の多く与えられた時はないだろう。

それぞれが自由に選択をできる時代を大いに楽しむべきだと思う。